
ファン起点に社内から書店に繋がる”成瀬班”の結びつき
大津市を舞台にした宮島未奈氏の『成瀬は天下を取りにいく』『成瀬は信じた道をいく』シリーズ(以下『成瀬シリーズ』)は、2023年の第一作発売以来、 大ヒットを続けている。2年連続で本屋大賞にもノミネートされ、様々なメディアにも取り上げられた。西武大津店の閉店を機に女子中学生・成瀬あかりの一見、奇想天外な行動が周囲に様々な余波をもたらしていく物語。今作のプロモーションは物語と同じように社内や書店を巻き込んでいるという。


『成瀬シリーズ』のプロモーションを担当した森定氏は、「主人公が魅力的で、強い個性のキャラクターで、誰もが読んで面白いと思ってくれる作品だったので、出版される前に社内で成瀬を広めるために様々な部署を横断し、ファンが集まりました。プロモーション部、営業部を中心に滋賀出身の校閲担当や『芸術新潮』の社員が中心に集まりました」と語る。
「読んでもらえば絶対に面白さが伝わる」という信念のもと、書店員に向けてのアプローチを強化し、作品のファンを社内から書店員、地域、読者と広げていった。
「本ができる前に、書店員さんだけに送るプルーフ(試し読み用の冊子)というものがあるのですが、まず、そこに著名人の方などから強い推薦コメントをいただこうと考えました。
作家の柚木麻子さん、辻村深月さん、漫画家の東村アキコさん。芸能関係ですと、西川貴教さん、友近さんなど。いろんな分野から推薦者を集めて、まず興味を持ってもらうきっかけを最初に作りました」
プルーフは通常、感想を書く用紙が挟み込まれた状態で送られる。『成瀬シリーズ』はその返答率がとても高かったという。
「たくさんの熱い感想が寄せられて、実際に書店員の方がファンになってくれたと実感しました」(森定氏)
さらに、『成瀬シリーズ』を応援してくれる書店を「応援団書店(成瀬班)」と呼び、その書店の担当書店員に「成瀬班会報」を送るなど、細かく書店員との連携を図った。

応援団書店に送られた成瀬班会報や年賀状
「『成瀬班会報』には著者の宮島さんも会報用に手書きのコメントを寄せてくれました。あえて学校通信のようにわら半紙みたいなもので出力して、書店員さんのみにお配りしています。
書店のみなさんが『成瀬シリーズ』をより好きになってくれれば……と思っていたのですが、ラミネート加工して店頭に出してもらえたこともあります。 書店も一緒に応援してくれるというのを、初期段階から強く感じていました」
また、書店から寄せられた感想に「成瀬が歩いた琵琶湖畔に行ってみたくなった!」「聖地巡礼してみたい!」という声が多数あった。そこから滋賀県庁にも掛け合い、第一作目の発売日である2023年3月17日には県知事への表敬訪問と、出版記者会見も実現した。
“成瀬班”が生みだした流通現場との共創が、世代を超えた爆発的な人気
現在では500店に広がった応援団書店。営業部の石井光一郎氏は、こうした書店員を対象にした施策が全体の認知や売上の拡大に重要だったと語る。
「作品自体を推すという動きは近年、どの作品にもあるのですが、今回の『成瀬シリーズ』は、新刊発売の盛り上がり後も高い熱量をキープして売る体制が続いています。
単行本の売り場で、『文芸』の売り場は限られています。特に、今回のような新人作家の作品を年単位で押し出すのは珍しい例です。
書店で売り場作りを担う書店員の方たちの熱意を引き出すことが重要です。なので、作品ごとのきめ細かいアプローチが必要だと思っています」
こうした『成瀬シリーズ』ならではの施策が、社内から応援団書店へ、書店員から図書館の司書へ、企業や芸能人へとさまざまな人に伝播して、『成瀬シリーズ』の人気は爆発的に高まっていく。その広がりは、小中学生から70代までと幅広い様相を見せた。
「実は『成瀬シリーズ』はあまり、読者層を明確に意識したことはないんです。装丁の雰囲気からすると、若い子向けと思われてしまうかもしれないんですが、限定しないでいました」と森定氏。
販売の動向を見てきた石井氏は「一般的に、一般文芸の読者は40~50代が中心で、男性4割・女性6割といった感じです。しかし、『成瀬シリーズ』は、普段あまり文芸書を手に取らない20~30代の方々にも広く読まれています。さらに、新聞に取り上げられると、その切り抜きを持って70代くらいの方が書店に買いに来てくださったりと、読者層が広がっているのを実感しています」と語る。
『成瀬シリーズ』は、新聞広告で何度でも売れる
IP活用も含め様々なプロモーションを展開する『成瀬シリーズ』だが、新聞広告は特に売り上げに直結しているという。





いずれも朝日新聞朝刊
朝日新聞には2024年1月1日朝刊を皮切りに、5段広告を継続して計5回掲載した。2025年2月8日朝刊ではシリーズ累計100万部突破を記念して、15段広告を掲載した。

2025年2月8日の朝日新聞15段カラー広告の新聞広告読者調査(J-MONITOR調査 【調査実施機関】ビデオリサーチ 【調査日】2025年2月)では、購入意向が51.7%と平均43.1%(書籍・15段カラー広告)よりも高い数値を見せた。また、自由回答には「既に購入して完読したが、この広告を見て、もう一度読みたいと思った(男性・50代)」といった声も寄せられた。
実際、新聞広告を出した週の休日は普段よりも販売実績が上がるため、都度、新規読者に届いているという実感があるという。
石井氏は、新聞広告が新規読者にリーチする理由について「信頼性の担保」という効果があるのではないかと分析する。
「信頼性の担保というか、購買行動への一押しみたいな点で、新聞広告は強いと思いますね。書店などで大きく展開して、その後新聞広告が載って、新聞に載るぐらいの作品なんだ、と思える。そういった安心感という点で、新聞広告はSNSやネット広告とはまた違う立ち位置だと思います」
『成瀬シリーズ』がここまで大きなうねりを生み出した原因は一体何なのだろうか。
森定氏は、きめ細かな施策を通じて出版の熱意がしっかりと書店に伝わった効果だと感じている。
「作品の魅力はもちろんですが、新潮社側で持っていた作品への気持ちを書店員のみなさんに伝えることができたことも大きかったのではないかと考えています。
コメントが集まったプルーフや会報を送る他、その後もメールマガジンの配信や「成瀬あかりシリーズ公式」Xアカウントでの情報発信など、覚えていてもらうため小さな努力を今も続けています」

「あえて中身を言わない」プロモーションを採った『百年の孤独』
同社で2024年7月に文庫化され、海外文学として異例の売れ行きを見せている『百年の孤独』も作品の特色に応じたプロモーション施策が展開されている。ノーベル文学賞受賞のガブリエル・ガルシア=マルケスの代表作で、文体の美しさと共に幾世代にもわたる複雑な物語として知られる作品でもある。
読書好きの中では根強い人気を保つ作品であるものの、読む人を選ぶという意味で『成瀬シリーズ』とは対極にある作品ともいえる。なぜこんなに売れるのか首をかしげる向きもあるだろう。営業部の石井氏は、その「不思議」の部分を利用した販売戦略を語ってくれた。
「元々『百年の孤独』が文庫化されるという話は、2023年の秋頃には社内で共有されました。
2023年末に『本の雑誌』で編集長がその話をしたところ、予想を超える反響があり、(Xの)トレンドに入るほどでした。なぜ、ここまで話題になったかというと、ある種、都市伝説とかネットミーム的に認識されていた部分があったからだと思います。
すごく売れているのに文庫にならないので、本好きの間では『文庫化したら世界が滅びる』と言われている、そういう作品があるんです。
もともと『百年の孤独』はある程度売れるだろうと思ったのですが、これだけ事前に盛り上がるのであれば、もっとおもしろい仕掛けを考えようという話をしました」

ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』やミシェル・フーコー『監獄の誕生』などと共に、「文庫化されない作品」のシンボルとされていた作品が文庫になる、というムーブメントを上手に利用した形だ。
一方で、文学作品のコアファンにとどまらない広がりを生み出すため、誰もが手に取れる仕掛けをプロモーション全般に施したという。
「『成瀬シリーズ』と異なり、あまり内容は打ち出しませんでした。今出ている単行本は、ガルシア=マルケス全集のもので、敷居が高いビジュアルで、謳い文句も難しい。『百年の孤独』やマルケスは、マジックリアリズムだとか、ラテンアメリカの…とか、そういうものがついてくる作品です。
でも、それが前に出てしまうとハードルが高くて、元々海外文学に親しみのある人にしか手に取ってもらえないのではないかと危惧していました。
そこで、ビジュアルを出す時やポスターを作るときは、とにかく中身を言わない。

『世界文学の最高峰が待望の文庫化』としか言わず、『すごいからすごいと言う』ということをやっていました。
発売の1カ月前に作った予告ポスターは、とにかく、ビジュアルなどもつけませんでした。変な前情報無しに読んでほしいという気持ちがあったので」
『百年の孤独』を社会的な事件として広告に
しかし、購入した読者を放っておいたわけではなく、池澤夏樹氏による『百年の孤独』読み解き支援キットも制作。各書店からの問い合わせが相次いだという。『百年の孤独』の新聞広告も、プロモーションと同じく作品そのものへの言及ではなく、その周囲をアピールする施策方法になった。
2024年8月2日には朝日新聞に「この夏、最大の事件」と打ち出した広告を掲載した。

2024年8月2日付朝日新聞朝刊
「普段読書をする人だけではなく、『よほど話題になっているものだったら買おう』という意識の方に向けました。
新聞を読んでいる方と小説の親和性は高いですし、出版界の中の文脈だけではなく『社会的な事象だよ』とアピールしました。
発売当初も、いろんな新聞で『海外文学がこの時代に』といった文脈で紹介されていたので、それを取り込みました。本の内容の紹介ではなく、あくまでも今周りで起きたことをまた再度伝えた、という形を取りました」
『百年の孤独』も『成瀬シリーズ』同様、新聞広告との相性が良いという。2025年1月1日の同社の元旦広告でも取り上げた。

2025年1月1日付朝日新聞朝刊
作品の特性を最大限生かしたプロモーションをさらに力強く
個々の作品の特性を最大限に生かすことで幅広いファンを獲得した新潮社のプロモーション施策。『成瀬シリーズ』は主人公の成瀬のキャラクター同様、様々な人を巻き込みながらも作品の強さでプロモーションをけん引し、『百年の孤独』も作品の雰囲気と同じく、謎めいた空気で読者を惹きつけていく。
作品ごとの細かいアプローチと一口に言ってしまえばそこまでだが、まさに作品の魅力を深く知る新潮社の強みが生かされたプロモーションが実を結んでいる。
最後にこの先の展望や挑戦してみたい施策などを尋ねた。
「『成瀬シリーズ』は、これからも色々やろうと思っています。2次元だけではなく、自治体とのコラボをもうちょっと加速できるといいなと考えています。
アイデア段階ですが、成瀬の生きる街を歩きたい!と思ってくださるファンの方に楽しんでもらえるかもしれない企画もいろいろと考えています。地元企業とのコラボなど、これまでやったこともないようなことをやりたいですね。」(森定氏)
「マルケスの『族長の秋』の文庫が2月末に出て、発売前と発売から4日後、二度の重版が決まりました。しかし、『百年の孤独』ほどの盛り上がりはない。
新刊の発売時は必要以上に難しくしてはいけないと思って、中身を説明することはやりませんでした。ただ、今回は、型破りな独裁者の話という面があります。
今、現実がフィクションを凌駕するような状態なので、もっと土台のところでアプローチするのも大事だと感じて、新たな施策を考えているところです」(石井氏)